中村寅吉プロが逝ってしまった。
寂しく思うが、よく92歳まで長生きしてくれたものだと思う。
父より2歳も上だ。
私が学生ゴルフを頑張ってやっている時、うちの大学の練習コースだった「TBS越谷ゴルフコース」が「第一回日本女子オープン選手権」を開催することとなった。
私がたしか3年生だったと思う。
女子プロ連盟を作るのに尽力していたプロ杉本英世プロ、西田升平プロが来ていて華やかな大会だった。
当大学はお手伝いで女子プロのキャディーをやるようゴルフ場から仰せつかった。
責任者は私だった。
女子プロは樋口久子、佐々木正子、辻和代、中村悦子、二瓶綾子、岡田美智子プロ等。
アマチュアは、清元登子、徐阿玉、桝井芙佐子(現絵里)、小阪(下は忘れたけど今の小阪文部大臣の妹)、外山?等。
いつも私達が練習している野天の練習場は花が咲いたように色とりどりの衣装で華やいでいたっけ。
そんななかに寅さんはデーンと座って彼女達の練習風景を見ていた。
女子プロの会長やっていたのかなあ?定かではないけど何か携わっていたと思う。
選手がコースに散って行った後、寅さんはバッフィーを取り出し私の前で打ち始めた。
目の前であの寅さんがボールを打ち始めたのだ。
200ヤード先に一本松があるのだがそこを目掛けてバシッ!バシッ!
200ヤード先の6畳ほどのエリアにボールが集まっているように見えた。
スイングは今のプロゴルファーのようにかっこよくはないがヘッドの使い方は凄い!
シュパー!ッとヘッドが走るのだ。
50発ほど打ってクラブハウスに引き上げて行ったが衝撃的な出会いだった。
これがゴルフか!
と度肝を抜かれた。
選手が上がってくる頃になり、私がコース内のキャディー用(?)テントで暖を取っていると寅さんがひょっこり顔を出した。
おでんの鍋があったのだが「それ、俺にもくれ」と言って私達と一緒に鍋を囲んで食べた。
気さくなそこらのオッサンだった。
さすがに私の師匠の丸山プロは直立不動でそこでは食べなかった。
アマチュアでいいと思った。
寅さんがクラブハウスに戻ってから丸山プロが
「吉岡、お前のオヤジみたいだなあ。カッコがよく似ているよなあ。足短くてよー。」
足短いのだけ余計だが寅さんに似ていると言われ少し嬉しかった思い出がある。
その年は樋口久子プロが優勝しここから樋口時代が幕を開けて行った。
樋口さんは寅さんの弟子でもあったわけで寅さんもさぞ喜んだことだろう。
因みに、私とよく練習していた岡田美智子プロは2位に入り、桝井芙佐子さんはアマ部門3位(?)だったと思う。
遠い昔なんではっきり思い出せないが寅さんを思い出すとどうしてもこの「TBS日本女子オープン」のことが思い出される。
中村寅吉プロに合掌。
寅さんのスイングじゃないけど…